備忘録 大切なこと

淡々と過ごしている。

今週造影剤CTをして他に転移がないかの検査。

私は7年前に子宮頸がんの疑いで

円錐切除術をしている。

幸いにも浸潤しておらず前がん病変の高度異形成2泊3日の入院でその後は通院で今は年1度検査している。


思い起こせば33年前22歳

1度目の結婚

盛大な式をして新婚旅行から帰ってすぐでした。生理が遅れてると病院へ行くと妊娠がわかり喜び。

それもつかの間 胞状奇胎が判明麻酔なしの掻爬手術、その後も数値が下がらないとの事で絨毛がん〔じゅうもうがん〕になるといけないからと抗がん剤治療のため入院

その時両親には本当に心配をかけてしまった。

母はいつも傍に寄り添ってくれてた。後日妹からお母さんはお姉ちゃん髪が抜けたら可哀想だから帽子用意しといた方がいいかなとかオロオロだったよと。

父はお見舞いに来た初回我慢しきれなく涙して頑張れよと。

普段は口数少なく会話もあまりなく仕事人間の父

そんな二人に心配をかけてしまった。ごめんなさい。頑張りますと。


そんな心配をかけてしまった母がその数ヶ月後肺癌が判明

この時先生に家族が呼ばれて末期ガンですと手術もできない状態であと半年もつかどうかと。告知はご家族で判断してくださいと。

妹と2人診察室で落胆、絶望感、

晴天だったあの日家路に向かう車を泣きながら運転している時いきなりの雨。

あの光景を今でも鮮明に覚えてる。

人生最大の悲しい日だった。

そして家族で話し合いもし救いがあるのなら告知し一緒に過ごせたらいいけどただ施しようがないと言われた状態で告知してそれで母が自暴自棄になったり気力がなくなり悪い状態になるのはよくないからと告知しなかった。

それから3ヶ月足らず45歳の若さで逝ってしまった。最愛の母の死。

しばらくは家族悲しみに暮れていたのを思い出す。


ただ今回、自分が乳癌を告知されて

あらためて思う。

本当に母に伝えなくて良かったのかと‥

この前私が先生に乳癌を知らされてご家族には?と言われた時に私が伝えます。これからも治療経過は私に言って下さいと。これからの事をちゃんと自分で考えて行動したかったから。

だからこそあの時の事で胸が痛む。

思い残してしまう事が沢山あったよね。もっとやっておきたかった事あったよね。と

本当に本当に

ごめんなさいお母さん。